ささきゆうすけ

ブログ

三月

今年度最後の月、今年に入ってもう三か月目、早い。

日日も時間通り更新されず、なんのために毎日書いているのかと疑問に思われるこの頃、ちょっと疲れたんで、ここらへんでやめておこうかなと思っていたりする。

パソコンのモニターが届いた。早速、二画面のセッティングをしてみた。ついでに机の上のものをもう一つの小さい机の上に移動して、何もない状態にしてみた。

画面がひろく使えてとにかく作業効率が高まりそうだ。机が綺麗なのもかなり気分が良い。パソコン以外に気を奪われないのも効果として大きい。とはいえパソコンの中にも多くの誘惑があるのでそこは気持ち次第だ。

音楽制作のソフトもインストールした。使い方を覚えるのも慣れるのもまた大変そうだけど、とりあえず作れるだけの、最低限のことはわかった。

あとはやる気の問題だけだ。これ、どんどんほしくなっちゃうな。制作の効率を上げるためにキーボードも欲しくなっちゃうし、オーディオインターフェースっていう、楽器類とパソコンを繋ぐものがあるんだけど、これも新しいのが必要だなってなってるし、ちゃんとやろうと思ったらスピーカーも必要だよなとか、とにかく物だけ揃えて何もしない、典型的な初心者だなって感じだけど、そういう欲が出てきた。

まあでも最低限の環境は揃ったかなというところなので、近々少しずつ動こうと思う。だいぶブランクがあるので、また最初からやり直しという感じだけど、一つずつ、小さいものから形にしていこうと思う。まだ何もやっていないのに楽しい。

昔作った曲たちも出し切っていないし、でも出したところで聴かれてないし、どうしようかなと迷ったりもするけど、大切なものを大切にしていこうと思う。

再開の目処

音楽制作のソフト類を購入、届いた。とてもわくわくする。7~8年、そこそこの情熱を持ちながらいろんなものを作ってきて、作ってきた期間と同じくらいの期間、何もせずに休んでいたけど、ついに買ってしまった。

結局何も発表せずに終わってしまう可能性もゼロではないけど、今はわくわくが止まらない。もともとお金を一切かけずに何でも出来たのに、これはいったいどうなっちゃうのだろうという感じだ。

さらにさらに、いわゆるDIYというやつをしようと工具や材料を購入し、届くのを待っている。最初は壁に棚を作ろうと思っている。いろいろなやり方を考えていたら、結局どうしようと迷ってしまっていたけど、少しずつ拡張していこうという考えに落ち着いた。本当は壁一面を木で埋めたいとかあるんだけど、まずは柱と棚だけのシンプルなものを作る。

DIYっていう言葉がいまだにしっくりこないけど、自分でやるっていうことであれば、今やっている音楽もウェブサイトも絵も詩も小説も何もかもDIYで、ここに家具作りや裁縫、革細工とかなんやかんやが追加されたら本当に楽しい生活になりそうだ。生活で使うものがすべて自分で作ったもの、みたいなのが理想だ。

こんなにわくわくしてるのは久しぶりの感覚だなあ、って何回も言ってる気もするけど、環境が整ってきたのでまた少し動ける気がする。この波がすぐ終わらないといいな。

一月はある程度新しいことを始めてみたりして、いいスタートだったけど、二月はあまり行動できなかった。二月も終わり三月に入る。三月は、新しいことを始めるというよりは、一月に始めた新しいことを続けつつ、昔からやってきたことを再開する月になる気がする。そうしたいと思う。

社会人の端くれ

正社員して1年と2ヶ月の勤続となった。今までも正社員で何社も転職していたり、アルバイトだったり契約社員、派遣社員だったり、フリーランスだったり、いろんな形を経験してきた中で、最長の勤続となる。自分にとってはとても不思議な感覚である。

今はお金を稼げるという意味では、正社員、個人、友人とのチームの3本でやっている。すべて好きな場所、好きな時間でやれることが続いている大きな理由の一つだろう。個人でやっているものは、なくなりそうな気配があるので、実質、正社員とチームの2本でやっている。

時代が変わってきたことはみんななんとなくわかっているだろうけど、やっぱり話が通じない、噛み合わない人はまだまだ多くいる。どれが正解とか不正解とかじゃなくて、選択肢の有無の話だ。そして自分の選択の話だ。

生きることについて何十年と考えていて、やっぱりどうもいわゆる「仕事」とかいわゆる「働く」ということがいまいちしっくりこない。しっくりこないどころか違うと言い切れるのに、ここは多数決の世界だから伝えることは難しい。

パイオニアより二番手、三番手のほうが数字を出すのは、我々凡人にルール説明をする段階をパイオニアが担ってくれたからだ。そのルール前提でやれる人のほうが当たり前に有利なのだ。つまりそれ以降、「史上最速」などが出たところでそりゃあそうだなというものだ。もちろんそれはすごいことで、賞賛されるべきだと思ってはいる。

しかし、パイオニアかつ最強プレイヤーかつ最高ゲームメーカーみたいな人が稀にいる。道を切り開いたのではなく、土地をおさえた、島を手に入れたような人だ。

脱線してしまったが、一言でまとめるなら、ライフワークを、ということだ。大切なことは何か。

僕たちの武器

人間であるから、弱いから、逃げることをやめない。

言い訳ばかりして逃げることは、刃で、銃弾で傷つけることよりカッコいい。

言葉はなんのためにあるのか、詩は、音楽は、平和の中にある戦いだ。

日常の中にある戦いは、最低限のルールのもとで行われる。

僕らは人間だ。

人間は細胞の集合体で、僕らは地球の細胞だ。地球は宇宙の細胞で、宇宙はまた僕らを構成する心の細胞だ。

助け合うことが難しかったとしても、殺し合わないことは簡単なはずだ。

人って本当に自分勝手だよなあ。自分勝手でいいんだけど、自分勝手じゃだめなんだよなあ。意図を汲み取らないで言葉だけで判断して批判する人、うわさ話だけで元情報も確認せずに文句たらたらの人、ニュースの見出しを読んで中身を読まずに否定する人、アクセスを稼ぎたいがために嘘の見出しを書いちゃう人、主観だろとか言っちゃう主観で喋る人、感情論ばかりだなとか言っちゃう感情論ばかりの人、宗教を嫌うことを信じている人、論点ずらすなとか言う論点ずらす人、自分から聞いておいて回答に聞き疲れる人、自分の考えが足りてないことを想定できない人、自分のイメージや先入観を持ってそれを前提に目の前の出来事を当てはめていく人、これらすべての塊みたいな人、それの何が悪いか考えようとしない人、面倒だ。

それらすべてが自分に当てはまらないかということを考える。

人を信じて自分を疑うことが課題だ。

人間でいることがとても難しい。人間でいなくなればどれほど楽だろう。気に食わないものをすべてめった刺し、すべて排除できたらどれほど楽だろう。

自分が信じたものを信じればいい。それでも自分が信じないものを攻撃する必要はあるだろうか。

自分が信じないものを見ないのも自由だ。自由だけど、絶対に見たほうがいい。

唐揚げ弁当二つ

二週間ほど続いていた耳の痛みが和らいだ。まだ少し違和感はあるけど、痛みがないだけでだいぶ楽だ。身体の不調も全体的に良くなっている。相変わらず昼間にはずっとぼーっとしているのだけど、気持ちは上向きだ。

今日は15時ごろに唐揚げ弁当、20時ごろに唐揚げ弁当という二食だった。唐揚げが無性に食べたくなる日だった。今は味噌カツが食べたい。納豆の賞味期限が切れているので、そちらも早く食べないといけない。この前食べようと思って食べられなかったつけ麺も食べたい。

最近は完全な休みがないなあとふと思った。一日何もなく、何もしなくていい、そして明日も休みという日がない。忙しいとかそういう話ではなくて、そういう日がほしいなと思った。感覚的には、かれこれ半年くらい、休みが一か月に一日くらいに感じる。暦上の休みとか、仕事の休日とか、そういうことじゃない。休みたい。

先日、ちょっとした会話の中で、ようやく重すぎた腰を上げようと思った。思っただけだけど、思った。十年以上、要らないなと思っていたけど心のどこかで買ったほうがいいと思っていたものを買おうと思った。別にそれがあったからって結果が大きく変わることがないのは見えているんだけど、それでも過程に大きく影響があるのはわかる。まあ、音楽制作用のソフトなんだけど、ついに買っちゃおうかなっていう感じだ。

昔はいかにお金をかけずに良いものを作るかという視点を持ってやっていたけど、制作に関するものにはお金を使うようになった。グラフィック系のソフトに月額を払って、絵、写真に役立つものをぽんぽんと買った。しかし、こと音楽に関しては腰が重すぎる。まあたぶん、特別の中でも特別なんだろうな。

やるきっかけというか、目的というか、そういうものが復活しそうなので、動き出すんじゃないかなって予感がしてる。

飛べ

見ないようにしていた、弱く弱く今にも消えそうな火が、消えそうなまま灯っていた。

幾度の雨風の夜を越えて、傘がなくとも屋根がなくとも、真っすぐ打たれ続けても決して消えなかった。

知っている。この火は消えない。そんな簡単に消えるものじゃない。

この灯りに、この熱に、数多の生き物が寄ってきては、バチバチと羽音を立てた。灯っているから、熱いから、その火が羨ましいか、妬ましいか、それとも馬鹿らしいか、恥ずかしく見えるか。彼らは引っ切り無しに周りをうろついた。

前が見えない、邪魔だと手で払えば、この手が悪となるだろう。灯りは目立つ。目立つお前が悪いと言われても、この火はお前らを導くためのものでも、邪魔するためのものでもない。

この火は今から歩く道を照らすものだ。見えない道を、照らしただけだ。

足は黒ずんで、擦り切れて、歩く。裸足で、かさぶたになって、めくれて、歩く。ここに来るために僕は歩いてきたんだ、そう思った場所で、そう思ったのは僕だけで、ひび割れて、化膿して、もう感覚なんてなくなって、歩く、歩く、歩く。

さぞかし面白いだろう。笑うやつを笑って、歩く。

休めと言われて、歩く。走れと言われて、歩く。歩けと言われて、どう思う。

この旅の始まりはなんだったか。

暗闇の中、どこにいるのかわからないけど、一歩先がぼんやり見える。だから歩く。

この旅の始まりに、心を置いてきたような気がする。だから歩く。

心はそこにあるから、歩く。この身体がどうなろうと、この火に燃やし尽くされ灰になろうと、心はそこにあるから、歩く、歩く、歩く。

見ないようにしていた、弱く弱く今にも消えそうな火が、消えそうなまま灯っていた。

飛べ、お前ならいける、と声がした。そう聞こえた気がした。

こちら無風、眺め悪し、長めの滑走路にて向かい風を待つ。