朝から夜まで部屋で過ごし、飯を買おうと外に出たら月がよく見えた。
満月かなと思って調べてみると、満月は明後日だった。そういったことは日常的にあって、自分がよく空を見ていることに気づく。
昨年は、流れ星を見て、虹を見て、月食を見て、UFOのようなものを見た。流星群や月食は、その日がそうだとは知らず偶然に空を見ていた時に出会うことが出来た。前情報を知らずに出会うと、本当に奇跡を強く感じる。
そして今年に入ってすぐ、隕石を見た。隕石は、たまたま外に出た数分の間に現れて消えた。すぐにカメラを向けたので動画を残したけど、SNS上では目撃情報も少なく、本当に奇跡的だった。
UFOの件については、怪しまれたくないのでここでは割愛するが、ただ空を見ていただけで、こうやっていろいろなものに出会うことが出来た。
空を見ていなければ月は見えない。虹も流れ星も隕石も、出会うことはない。流れ星を見るために毎日空を見ていたら笑われるかもしれない。でも、空を見ていないと流れ星は見えない。これはいろんなことに言えるなと思う。
夢を見る人はいつだって笑われる。笑われてなお夢を見る。人の夢を笑わないことが正しく優しいようになってきている気もするが、この頃は、笑われる夢を持ちたいと思ったりもする。
何か作品で表現する時なんかには、わかってもらいたい、伝えたいという気持ちと、伝わるものではない、理解されるようじゃまだまだだという気持ちが共存する。同じように、自分の夢を笑われることは、悲しくもあれば、嬉しくもある。笑われるほど素晴らしい夢なのだ。出来るとわかっていることが出来るより、出来ないと思われているものが出来ることにより楽しさや燃えるものがあるのだ。
見ようと思わないと見られないものがたくさんある。笑われるような夢を見られた自分を褒めてやろう。空の向こうには何があるだろう。